崇城に足を踏み入れて、姫発が最初に思ったのは、落ち着いているなということだった。城内も、ある程度整えられているが実に質素なものである。空間をとても大事にしているのだろうか、吹き抜けが多く、空が近くに感じられた。民衆も、西岐ほど活気があるわけではないが、いきいきとしている。農業だけではなく商業も発展しているようだし、学業も優れている者が多いと聞く。西岐はよい国だ。だが、北もよい国だと、姫発は素直に感じた。 「西岐の、姫発さまでいらっしゃいますか?」 きょろきょろと崇城の中を見渡す姫発に声をかけたのはひとりの女性だった。城にあうような質素な、でもしっかりとした身なりをしている。軽く浮かべた微笑みも、上品で好感を覚える。使いの者か、あるいは何らかの職についている者だろう。 姫発は「ああ」と自らも笑って返事とした。 「そんなにめずらしいものでもないでしょう。何か気になる点でもございましたか」 「ああ、悪いな。特に悪いとかいうわけじゃないんだけど、想像と少し違ったからつい」 「そうでしたか。もし差支えがなければそのお話を詳しく聞いてもよろしいかしら」 「別に構わねーよ。俺も崇黒虎がくるまでは暇なんだ」 「あら、ごめんなさい。お待たせしているのね。でもありがとうございます。ここではなく、あちらの椅子に座ってお話しましょう」 女が示した場所は、先ほど姫発が空に近いと感じたところだった。北の国を見渡す、とまではいかないものの、国の様子を見ることもできる。そこから見える景色を、姫発は絵のようだと思った。死んだ兄が心底気に入っていた画家の描く絵に似ていて、姫発は知らずと頬を緩ませた。その様子を見て、女もまた微笑む。彼女自身もお気に入りの場所なのだそうだ。ここでゆっくりと過ごすのが、幸せなのだと笑って言う。 「それで、姫発さま。あなたがこの城の様子が想像と違ったというのは、具体的にどういうところなのか教えていただけるかしら?」 「んー、いや、ただ単純にさ。もっと派手なのかと思ってたから。いや、豪華すぎるとかではなくて、ちょっと想像より地味すぎるかな〜って」 「そうですね、確かに、以前の北伯侯は、どちらかといえば華美なものを好んでいましたから。そのようなイメージがつくのも無理はないですね」 「でも俺は今の城、好きだぜ。さっきは地味って表現したけど、質素で落ち着いてる。この地域を象徴してる場所としてはぴったりだろ」 「ふふ、ありがとうございます。素直に嬉しい。北伯侯も喜びます」 目を細めて笑う女を、姫発は純粋に美しいと思った。自分達の前に広がる空によく似合っている。 それにしても落ち着いている空だ。つい最近まで見ていた空とは打って変わっている。ここにいると、時間がゆっくりと進むように感じた。この国は安心だ。姫発はゆっくりと流れていく雲を見てそう思った。 「西岐の国は素晴らしい場所だと聞いております。今度ぜひ、遊びにいかせてくださいね」 「あんたならいつでも大歓迎だ。西岐もいい場所だからな〜。きっと気に入ると思う。でも、ここもいいところだと思うぜ。いい女がいる国は、いい国って相場がきまってる」 「また嬉しいお言葉。そんなに褒められても、何も出ませんよ」 ちょうどそのとき、「悪い、待たせた」と崇黒虎がやってきた。肩にはあの奇妙な鳥をのせている。崇黒虎が女のことを目にとらえると、彼は困ったように、だけどしっかりと微笑んだ。 「。本当に君はおしゃべりが好きだね。だからって、武王とまで話しこむことないだろうに」 「あらまあ。あなたもお待たせしていたんでしょう。だからあなたよりも先にお出迎えしていたのよ」 「武王、悪かったな。紹介が遅れたけど、俺の妻のだ」 「名乗るのが遅くなってごめんなさい。と申します」 突然の申し出に姫発は驚いたが、すぐに安堵の気持ちで落ち着いた。さっきの自分たちに、あの空を見ながら、のんびりと会話している崇黒虎との姿が容易く想像できたからだ。話すことは他愛のない話からこの国の将来のことまで様々だろう。もしかしたら自分のことも話されているかもしれない。 「ああ、これからよろしくな」 姫発はすっと手を差し出す。姫発として、そして武王として。 (「幸せ」に恋をする/2006.11.28 なぎこ) |